因果応報になるような行動は気を付けたいものです

先日、久しぶりに外食をしました。
何もしないで食事が用意されることは、外食以外ではほとんどありません。
それだけでも十分有り難いことだと思ってしまいます。
せめて片付ける人の立場に立って、食べた後の箸やお手拭きなどをキレイに揃えておこうと思いました。

しかし、一緒に行った家族は特にそういったことにはお構いなしです。
私がキレイに片付けていると、外食だからそこまでしなくてはいいというようなことを言っていました。
普段から片付けをしていない人は、片付ける人の気持ちが理解できないのかもしれません。
どうせ片付けるのだから、散らかっていてもいいし、そのためにお金を払っているのだというくらいの気持ちなのかもしれません。
しかし、お金を払っているとか、お客だからという立場は抜きにして、人として最低限のマナーは守ったほうが良いと思いました。

世の中にはいろいろな人がいて、自分とは違う意識で生活している人がたくさんいます。
どれが正しくて、どれが正しくないということは一概には言えませんし、線を引くこともできません。
ですが、お客だからと言って横柄な態度を取るのは良くないと思います。
それは決してスマートなお客とは言えないと思いました。
一昔前なら、お酒を飲んだ席では無礼講で何をやっても良いという時代もありました。
また、旅の恥はかき捨てで、旅先なら何をやっても許されるようなこともありました。
ですが、今はどんな時でもマナー違反は許されないことが多く、それがパワハラやモラハラと言われるようになりました。

時代が変わっても、相変わらずマナー違反を無礼講だと言ってやっている人もいます。
年配者の場合は仕方がないと諦めてしまうこともあります。
その為、時には「老害」と言われてしまっても仕方がないことなのかもしれません。
マナーは時代とともに変わっていくのだと思います。
この先、私が高齢者になった頃、今とは一般的なマナーもさらに変わっていくのだと思います。
誰かが泣き寝入りをして我慢していたマナー違反も、今後はなくなっていくのかもしれません。
いろいろなことが変わる中で、全く変わらずに、昔のマナーのまま過ごしている人たちもいます。
それはジェネレーションギャップとも言えるかもしれません。

また、親世代が許されていたマナー違反だから、子供世代もやっても良いと思っている人たちもいます。
今まではそれでも何とか世の中が回ってきたかもしれませんが、今後はそれができるかどうかもわかりません。
これからは新しい時代を生きる人たちの価値観で世の中が作られていきます。
古くて横柄な態度をいつまでも取り続けているような人は、ますます煙たがられてしまうでしょう。
高齢者になってみないとわからないことですが、もしかしたら、その年代の人なりに自分たちを主張し続けているのかもしれません。
子供じみたやり方かもしれませんが、それをやることによって、自分の存在価値を認めてもらいたいという潜在四季の現れなのかもしれません。
できれば相手に残念な人だというレッテルを貼られるような人にならないためにも、相手の嫌がることはできるだけしないようにしたいものです。

自分くらいは何をやっても平気、という考えでは、いつかはその罰が当たってしまうでしょう。
因果応報を考えると、やはりできるだけ人様の迷惑にならないように気をつけたいと思ってしまいます。
それは結局、自分の為でもあり、傍若無人な振る舞いは自分自身を苦しめていくことに繋がると思います。
本当に賢い人ならば、年齢に関係なく、先のことを見込んだ行動を取ることができるでしょう。
これからも良い行いをして、自分の将来が良くなるように努めていきたいと思っています。

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